EUは統合の初心を忘れるな
欧州連合条約(EU条約)6条1項は、「この連合は、自由、民主制、人権及び基本的自由の尊重、及び、法治国家性の原理を基盤とする」と定めている。この四つの普遍原理、すなわち、自由主義・民主主義・人権尊重・法治国家は、欧州統合の核心的な価値を占めている。欧州統合を他の経済的連携関係と区別するのは、この一点であるといっても過言ではない。
その証拠に、すべての加盟国は、これらの原理にコミットすることを義務付けられ、これらの原理にコミットしていない国は、欧州連合には加盟できない。昨年5月に加盟した東欧諸国も、かつての専制的な社会主義体制から、自由・民主・人権・法治の自由主義体制へと自己変革を遂げて、初めてEUの加盟国になることができたのである。
古くは、独裁体制をしいていたスペイン・ポルトガル・ギリシャは、長らく欧州共同体から排除されていたし(体制変革により加盟が実現)、現在でも、トルコの加盟の懸念は、主としてこの人権問題にかかわる。
欧州諸国は、チェチェンでの殺戮行為を行うロシアには厳しい批判を加える一方で、選挙により民主化を成し遂げたウクライナには、EU加盟の道を拓いた。
このように、これまでつねに自由・民主・人権・法治という普遍的価値に忠実であったEUが、ここにきて、少しおかしくなっている。イラク戦争により欧米関係に溝が開いたことや、中国の経済成長と欧中貿易の拡大、国連改革における常任理事国の増加案など、さまざまな要因が絡みあい、現在の外交的状況が現出しているのであろうが、そうだとしても、天安門事件は、自由・民主・人権・法治のすべてに反する事件であったはずである。
1989年の天安門事件により、民主化を要求した学生たちは、人民解放軍に虐殺された。この事件は、個人の生命と尊厳を無視した方法によって、言論の自由を封殺することにより、民主化の芽を摘み取ろうとする、欧州的な基本価値に真っ向から対立する事件だったはずである。
この事件をきっかけとして導入された対中国武器禁輸措置は、16年が過ぎようとしている現在でも、依然として維持されたままである。理由はもちろん、当時以来、中国の人権状況が改善していないことにある。
確かに、中国は、あれ以来驚異的な経済成長を遂げた。しかし、経済成長とは本来「手段」に過ぎないものであり、それにより、人民の幸福がいかに増進するかということが、目的でなければならないはずである。
いかに経済が欧米や日本に追いついても、自由・民主・人権・法治という基本価値が保障されていなければ、それは無価値である。なぜなら、それは、真の意味で人民の幸福をもたらすものではないからである。
したがって、昨日の欧州議会の決議は、欧州統合を基本価値という本流へと回帰させるものとして、歓迎したい。欧州議会の決議は、近年の欧中関係が経済関係に偏重し、人権・民主・法治といった価値のがなおざりにされていることを明確に指摘するものであった。これによって、欧州議会は、EUがそれまで核心としてきた基本価値を忘れつつある加盟国の政府に、その想起を促したのである(理事会は加盟国政府代表の合議体)。
また、欧州議会は、台湾海峡へのロケット砲の配備や、「反国家分裂法」による威嚇行為にも言及し、これを指弾している。中国はまた、日本に対しても、尖閣諸島の侵略や、軍事潜水艦の領海侵犯などにより、軍事的な脅威を与えている。このような状況下で、武器禁輸を解除することは、「平和」という欧州統合のもう一つの基本価値にも悖る行為である。この観点からも、欧州議会の決議を支持したい。
そもそも、この16年間、中国の人権状況が一向に進展しなかったことが、根本的な問題である。人民に自由と人権が保障され、民主的な統治が機能していれば、国がこのような軍国的な政策を推進することはできないはずである。
もちろん、このように、一向に中国人民に自由・人権・民主・法治が保障されなかったことについては、根本的な原因は中国政府(特に、共産党独裁体制)にある。しかし、経済的な関係のみを重視し、中国への人権改善の要求をなおざりにしてきた欧州にも、その責任はないとはいえない。
今回の欧州議会の議決によりEUは襟を正し、再び、中国への人権状況改善の要求を行っていくことが期待される。それが、中国人民が真に幸せになるための道である。
また、日本政府にも、まったく同じ批判が当てはまる。経済的な関係ばかりに気をとられ、肝心な自由・民主・人権・法治の価値の問題をなおざりにしていてはならない。日本政府も、堂々と中国政府に人権状況の改善を要求していくべきである。
近年、中国政府は、人権抑圧のために中国人民が感じている不満をそらすために、反日的なプロパガンダを行っているようであり、最近でも、それにより、暴徒化した群集によるヴァンダリズム(破壊行為)や日本人への暴行行為など、実際に被害が出ている。
もちろん、これらの個別の事件に対して、謝罪と賠償を求めていくことは重要なことであるが、それよりももっと重要なのは、根本的な原因である中国人民の人権抑圧状況を解決することである。具体的には、中国政府に、人権状況の改善を要求していくことである。
もちろん、これによってプロパガンダ禍を完全になくすことはできないだろうが、大きな効果があるだろう。考えてもみて欲しい。仮にいま、60年前のアメリカの原爆投下はけしからんと日本政府がプロパガンダを行ったところで、アメリカ外資企業に押しかけて投石しようと思う日本人は、一体どれだけ出てくるだろうか。
実は、このことは、学問的にも実証されている。第二次世界大戦直後の学問水準では、プロパガンダが視聴者の行動に与える影響はすこぶる大きいものだと考えられていたが、その後の学問の発展により、プロパガンダが人々の行動に与える影響というのは、実はそれほど大きなものでないことが明らかとなったのである。
つまり、一触即発となるほど鬱積するものが人民の中になければ、いくらプロパガンダを行ったところで、何も起こらない。逆に、暴動が起こるのであれば、それは、プロパガンダがあったからではなく、人民の中に内在的な不満が鬱積していたからである。このような状況下では、プロパガンダがあろうとなかろうと、暴動が起こる。
現在、中国政府は、プロパガンダによって不満の矛先すりかえ、日本をスケープゴートにすることに成功しているようだが、このような状況がいつまで続くかは疑わしい。1976年の第一次天安門事件、1989年の第二次天安門事件に続き、第三の天安門事件は、意外に近い将来に起こるのかもしれない。
人権と法治が保障され、自由で民主的な生活を享受する日が、中国の人民に一日も早く訪れてほしいと、切に希望する次第である。








