〔緊急特集〕北朝鮮のミサイル発射――国際連合法にもとづく解説(3・完)
前々回(第1回)では、北朝鮮のミサイル発射が国際連合法の根本的な規範である武力禁止原則(国連憲章2条4項)に違反した重大な行為であり、これにより、日本に対して、国際法により復仇(reprisal)の権利が与えられたことを見た。そして、日本政府がこの復仇の権利を余り行使していないのは、おそらく、今後国際連合の安全保障理事会のアクションが期待できるからであると示唆した。
また、前回(第2回)では、北朝鮮に対して制裁を加えるための国連安保理のメカニズムについて解説し、その結論として、「平和に対する脅威」を決定し関係各国の自衛権を確認する内容を含む決議が必要であること(したがって、単なる議長声明では意味がないこと)を論じた。
幸い、本稿の主張どおりに事態は推移しているようであり、実際に、当初議長声明に固執していた中露もついにその主張を譲り、(独自案とはいえ)決議を採択する方向で妥協したようである。日本の外交が正しい法的知見に基づいて行われていることが確認でき、まずは、日本政府の努力を歓迎したい。
ただ、決議という形式の次に大切なのは、決議の内容である。この決議に、「平和に対する脅威」という文言と、関係各国の自衛権を確認する文言を入れられるかどうかが、日米の対中露交渉の正念場と言えよう。
ちなみに、報道においては、「平和に対する脅威」という文言や自衛権の確認よりも、制裁条項を入れられるかどうかというところに焦点をおいて、報道を行っているようである。しかしながら、現実問題として、合衆国の金融制裁をはじめとしてすでに重要な経済制裁を加えている現状に鑑みれば、現時点で41条の経済制裁を安保理で議決することにさほどの意味があるとは思えず(もっとも、各国が従わなければならない強制措置であるので、中国から北朝鮮への支援をやめさせる効果はある)、むしろ、交渉担当者としては、文言調整のための交渉カードと考えている可能性が高い。
つまり、交渉担当者は、「経済制裁条項を入れることを諦める代わりに、『平和に対する脅威』という文言と、関係各国の自衛権を確認する文言を入れる」という妥協を行うために、交渉担当者は、現時点で、いわゆるハッタリとして制裁条項の挿入を強硬に主張しているのではないかと思われる。もちろん、中国としては制裁条項を挿入されては一大事となるので、仮令ハッタリだとしても「それではやってみろ」とは絶対にいえない。したがって、交渉のカードとしてはかなり有効である。
それでは、なぜ決議において自衛権を確認することが重要かというと、前回説明したとおり、国連憲章42条に基づく軍事強制措置は同43条の協定が締結されていないために困難であり、このため、42条に代わる制裁の根拠として、同51条の自衛権に言及される慣行があるからである。
つまり、国連安保理において自衛権が確認される場合には、その国の軍事行動は正当なものとなり、国際的にも協力が得られるが(湾岸戦争、タリバン攻撃)、国連安保理における自衛権の確認を怠る場合には、国際的な非難を受け、国際社会での軋轢を生み出す(イラク戦争)。
したがって、現在国際的に軍事的制裁の根拠の一つとして認定されている自衛権(国連憲章51条)について究明することが、本稿の最後の課題となる。
自衛権
自衛権とは何か?
まずはじめに、自衛権とは何かという基本的な問題から検討しておこう。実は、自衛権という概念は、比較的新しい概念である。藤田『国連法』279頁によれば:
歴史的に見ると、自衛権の概念は、少なくとも〔国際〕連盟創設までは必ずしも自立的なものではなく、戦争違法化の進展につれ発達してきたのである。既述のように、不戦条約の締結に伴って、その1条による戦争の一般的禁止は、自衛権の「留保」に従うことになった。不戦条約締結以来、国際実行上、自衛権は、攻撃を防止するためではなく、武力攻撃を排除するために武力を行使することの合法性の意味で、用いられるようになった。
戦争違法論の登場までは、いわゆる正戦論が通説であり、戦争を行う権利(ius ad bellum)が発生するかどうかは、それが正しい目的によるかどうかという点に依存していた。もちろん自衛は正しい目的の一つであろうが、戦争を行う理由はそれに限られず、正しい目的であればよかったわけであるから、結局のところ、自衛権のみをとりたてて論ずる必要がなかったということである。
ところが、昔の君主の傭兵戦と異なり、国民全体を巻き込む総力戦が支配的になると、「どんな目的でも戦争を行うことはよくないことだ」という戦争違法論が、国際法において支配的になる。この結果、「それでは、自衛目的でもダメなのか?」という問いが立てられることになり、国際法は、「それは構わない」と答えたわけである。これが、自衛権である。
つまり、法の下においては、個人レヴェルにおいて、急迫不正の侵害に対して正当防衛が認められているのと同じく、国家レヴェルでも、急迫不正の侵害に対しては自衛権が認められているわけである。
* ここで、「個人レヴェルと国家レヴェルの法規範は異なるのではないか?」という疑問を持った人がいるかもしれないが、そうではない。現代の国際法は、グローティウスなどの自然法思想に遡るものだが、彼らは、個人間の関係と国家間の関係の双方を規律するものとして自然法を構想し、実際には、国家と国家の関係を、個人と個人の関係のアナロジーとして考えて規律することを構想したのである。したがって、グローティウスが、近代私法の定礎者であると考えられていると同時に、「国際法の父」と称されていることは、決して偶然ではない。
国連憲章51条の構造
それでは、具体的に51条を見てみよう:
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
この条文を法的に分析すると、一番重要な点は、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を行使することができるのは、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」であるということである。少なくとも、国際法の世界ではそのように解されている。
したがって、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」と「個別的又は集団的自衛の固有の権利」という二つの概念について、これが何を意味するのかを明らかにしていくことが重要となる。
それでは、それぞれの概念について見ていこう。
武力攻撃の概念
「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」という要件のうち、最も解釈を必要とする概念は「武力攻撃(an armed attack)」である。なぜなら、被害を受けた国が国際連合加盟国であるかどうかは明確に判断できるのに対し、「武力攻撃」に該当するかどうかというのはそう簡単には決まらないからである。
すなわち、今回の事態に当て嵌めてみると、日本や合衆国が国連加盟国であるかどうかという問題には異論を差し挟む余地はない。これに対し、今回の北朝鮮の行動が「武力攻撃」に当るかどうかという問題については、この概念を広くとるか狭くとるかによって、そうだということもできるし、そうでないということもできる。
この結果、自衛権を肯定したい論者は「武力攻撃」だと主張し、自衛権を否定したい論者は「武力攻撃」ではないと主張するから、水掛け論になってしまう。したがって、何が「武力攻撃」に該当し、何がそれに該当しないかに関するより詳しい基準が必要となる。
残念ながら、その基準を公式に定めた文書は存在しないが、これまで、その基準に代わるものと考えられてきたのが、国連総会の決議である総会決議3314「侵略の定義(Definition of Aggression)」である。すなわち、藤田『国連法』286頁によれば:
「武力攻撃」をどのように解釈するかについて、「侵略の定義」3条は実際上有益な示唆を与える。3条の列挙する「侵略行為」の例のすべては、一定の条件のもとに、51条の意味における「武力攻撃」を特徴づけうるものである。
すでに第1回で見たとおり、この総会決議3314の3条b項は、
ある国の武力による他の国の領域に対する砲撃、又は、他の国の領域に対するある国によるあらゆる武器の使用(Bombardment by the armed forces of a State against the territory of another State or the use of any weapons by a State against the territory of another State)
が侵略であるという規定を行っているが、第1回において、以下の通り、結論的に侵略であるか否かは不明であると論じた:
それでは、今回の北朝鮮の行為は、日本の領域内に対する越境射撃といえるか。結論的には、不明である。
領域というのは、領土・領海・領空により構成される。今回着弾したのは、日本領土から数百キロの地点であるとされているので、国連海洋法条約と我が国の法律によって12海里とされている我が国の領海に着弾したわけではない。したがって、日本の領域内に対する越境射撃とはいえないように見える。
しかしながら、もし日本領土ないし領海への攻撃を意図しており、たまたま失敗により我が国の領土・領海に着弾しなかっただけである場合には、話は別である。
要するに、この点、北朝鮮側がいかなる意図をもってミサイルを発射したかによるといえよう。
ここでもまったく同じことがいえるが、3つほど補足すべきことがある。
第一に、同決議4条によれば:
前条に列挙した行為は制限的〔列挙〕ではなく、また、安全保障理事会は、その他の行為が〔国連〕憲章の規定するところの侵略を構成すると決めることができる。(The acts enumerated above are not exhaustive and the Security Coucil may determine that other acts constitute aggression under the provisions of the Charter.)
したがって、総会決議3314は、厳密には3条b項に該当しない行為であっても、侵略に該当する可能性を排除していない。
第二に、少なくとも英原文に依拠する限りでは、「侵略」という概念に較べて「武力攻撃」という概念は内包外延が広い。したがって、ある行為が、仮令「侵略」でなかったとしても「武力攻撃」に該当する可能性は十分にある(もっとも、仏原文では「武力侵略(agression armée)」なる概念を使用しているために、逆の結論に至る可能性もある)。
第三に、少なくとも自衛権に関する限り、「武力攻撃」という要件は、近年緩和ないし拡大される傾向にある。すなわち、911のテロ攻撃を行ったのは特定の国家の正規軍ではなく、いわばまったくの私兵であったが、にもかかわらず安保理は関係国の自衛権を確認し、合衆国はその自衛権を根拠にタリバンを攻撃したわけである。
これらのことに鑑みれば、少なくとも自衛権に関する限りは、余り総会決議3314の3条b項に拘泥しすぎる必要はないものと思われる。もちろん、前述の通り、北朝鮮がもし他国の領土ないし領海への攻撃を意図しており、たまたま失敗によりその国の領土・領海に着弾しなかっただけである場合には、侵略性すら肯定されうる(テポドン発射は合衆国領土であるハワイ方向に向けて行われたとの報道もある)。
結局のところ、起こった事態が「武力攻撃」に該当するかどうかは、少なくとも現状においては不明であるわけである。しかしながら、今回の安保理決議により自衛権の確認というお墨付きが与えられた場合には、その後の関係国の軍事行動には相当の正当性が付与されることになる。これは、国際的な協力を得るためにはきわめて重要なことである。
それでは、次に、国連憲章51条の法的効果である自衛権について、憲法との関連も視野に入れながら解説しよう。
自衛権の内容
国連憲章51条が「個別的又は集団的自衛の固有の権利」と明確に規定していることから、次の二つのことが読み取れる:
- 自衛権には、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の二種類があること
- その二種類とも、「固有の権利」であること
まず、「固有の権利」について解説しよう。公定訳では「固有の権利」と訳されてはいるが、英原文においては「内在的権利(inherent right)」、仏原文においては「自然権(droit naturel)」という文言が用いられている。
つまり、自然権思想によれば、すべての人は、人権というものを、その人が人間であるというだけの理由でもっているのだと観念される。それと同じように、すべての国家は、自衛権と言うものを、その国が国家であるというだけの理由でもっているのだと観念されるわけである。
このことの意味を理解するには、権利というものについて少し知る必要がある。例えば、ある不動産の抵当権を得るには、貸すための金をきちんと用意して消費貸借契約を結び、抵当権を設定させる必要がある。さらに、この抵当権を第三者に対しても主張するためには、この抵当権を登記する必要がある。このように、普通の権利というのは、いろいろややこしい手続を践んで初めて与えられるものである。
ところが、人権や自衛権という権利には、「人間であるだけで」ないし「国家であるだけで」与えられる生来の権利であるという特質がある。普通の権利に較べれば、これらの権利がいかに特殊な権利であるかがよくわかる。そして、この特質は、これらの権利がきわめて重要であるということに由来する。
次に、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」について解説しよう。
この憲章に双方が規定されていることからも分かるように、国際法においては、自衛権の概念は個別的自衛権と集団的自衛権の双方を含む。そして、このことは、単に国連憲章に規定されているだけではなく、今や国際慣習法ともなっているのである。藤田『国連法』283頁によれば:
ICJ〔国際司法裁判所〕は、51条における「固有の権利(inherent right)」(仏文droit naturel)の使用および友好関係宣言に言及されたこの権利をあげて、慣習法上の(個別的および集団的)自衛権の存在を認めた(ICJ Reports 1986, p. 102, para. 193)。裁判所は、この慣習的権利の内容と範囲は、51条の自衛権にほぼ対応するとした。
したがって、国際社会において、個別的自衛権と集団的自衛権の存在は、国連法と国際慣習法の双方により明確に認められた法規範である。
ちなみに、長谷部恭男『憲法』65頁によれば:
〔・・・〕政府の解釈によれば、憲法9条は個別的自衛権の行使のみを許すもので、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合、それを日本への攻撃と見なして共同して防衛にあたる集団的自衛権については、日本を防衛するための必要最小限度の実力行使の範囲を超えるものとして、憲法により禁じられている(国会の憲法論議I 698-704頁)〔・・・〕
とされているようだが、このように、集団的自衛権と個別的自衛権をことさらに分類し、集団的自衛権を禁じるというような解釈が、前述の国際慣習法に明確に違反する解釈であることはいうまでもない。
「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と規定する憲法98条に従い、日本政府は、個別的自衛権と集団的自衛権の双方を肯定する解釈をする必要がある。もちろん、憲法を改正してそのことを明確に規定してもいいだろう。
いずれにせよ、そうすることが、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(前文)とする日本国憲法の趣旨にも合致する。
今回の事例をみても、果たして日本国の領域が攻撃対象になったのか、それとも合衆国の領域が攻撃対象になったのかで、自衛権が発動できるか否かという結論が変わってしまうことは、いかにおかしいことであるかが理解できる。
結論
今回の結論としては、差し当たり次のことがいえる。
第一に、今回の北朝鮮の行為が国連憲章51条の「武力攻撃」に該当するか否かは、さしあたり不明である。このため、北朝鮮に対して軍事制裁を加える必要がある場合には、国連安保理決議において自衛権の確認が行われることが、きわめて重要となってくる。日本政府は、その方向で引き続き交渉すべきである。
第二に、国際法上は、集団的自衛権と個別的自衛権の双方が国家に固有の権利として認められている。したがって、日本政府は、これに合致する形の解釈を明確に採用する必要がある。もちろん、憲法改正により明確に集団的自衛権を規定することが望ましいが、ことが緊急を要する場合には、解釈の変更だけでも十分である。
* ちなみに、日本と同じく第二次世界大戦で敗戦国となったドイツにおいては、制定当時から次のような集団安全保障の規定が置かれている(24条2項1文):
連邦は、平和を維持するため、相互的な集団安全保障システムに加盟することができる(Der Bund kann sich zur Wahrung der des Friedens einem System gegenseitiger kollektiver Sicherheit einordnen)
実際に、ドイツは国連のみならずNATOや西欧連合に加盟しており、積極的に国際的な集団安全保障体制の重要な一翼を担っている。
(了)





