2006年09月18日

ヨーロッパの文化的距離感

ヨーロッパの中の小さな国リヒテンシュタインという国の出身者が、

「自分の国は、リヒテンシュタインという国だ。他に自分の国はない」

と主張する。それに対して、

「そんな小さい国なんだから、他の国と協力した方がいいのではないか、現実的ではないか」

と何気なく考える。しかし、「日本という国がなくなったら・・・」と考えたらどうだろう。やはり「日本という国はあってほしい」と思うかもしれない。どんな小さい国であれ、弱肉強食のヨーロッパで生き残り、または独立を勝ち取った国という集合体は、そこに存在しているんだな、とヨーロッパ大陸の中の違いを見つめる材料になる。

バルト三国のエストニアは、旧ソビエト連邦から独立を勝ち取ったが、このエストニアの文化は、スカンジナビア文化であると、ヨーロッパ人は認識している。その文化とスラブ文化、フランス文化、イタリア文化、アングロ=サクソン文化の間には、お互いに近い遠いの認識がヨーロッパ人の間で暗黙の了解のように存在している。

日本人のわたしに一見同じように見えてしまうのは、同じアルファベットで書き表す言語を使用し、パンを主食にし、白人種という分かりやすい大まかな共通点がヨーロッパ人の間に存在し、それらの間を分けて認識する際に、大きな違いを見つけられないからだと思う。ヨーロッパ人の友人たちは、それらの文化間の近い遠いを、無意識のうちに共通認識として持っている。そういう共通認識を持っているということ自体が、お互いに近い文化同士である証左なのだということは、日本から見ると分かるのであるが、小さいヨーロッパ大陸の中で、自分の文化をどうにか保つために懸命だったためだろうか、時には攻撃的にお互いを罵り合うこともある。

わたしには、違いという程に感じられないものが、その人たちにとっては、主張せずにはいられないほどの違いだったりする。もし違いを主張しなければ、自分たちの文化が際立たないため、存在しないことになってしまうのである。それがヨーロッパの人々の自己主張の強さと、頑固さにつながっているのかもしれない。また、その頑固さが、自分の国を売り出すのが上手い観光大国ヨーロッパの強みにつながっているようだ。

小さなヨーロッパ大陸の中の文化の近さ遠さを認識することで、自分の存在を規定する国を認識し、違いを際立たせ、その違いが唯一の文化の近さ遠さの尺度となっている。だから、日本とヨーロッパの文化の近さ遠さなどは、一般のヨーロッパ人の尺度では計れない程遠い。情報の流通・飛行機の発着が頻繁になっても、まだまだ地球は大きい。日本は、ヨーロッパから見れば、宇宙のように遠い国のようだ。

(了)

渡部桂子 成蹊大学文学部文化学科卒業。日本の大手旅行会社でSEとして勤務後、渡仏。エコル・ドゥ・コンデ、パリ第4大学(ソルボンヌ)、パリ第5大学(ルネ・デカルト)で学ぶ。パリ第5大学社会学部L3修了後、M1在学中。

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