〔社説〕サブカルチャー発信国としての日本――麻生外務大臣の秋葉原演説を機縁に
中村匡志(本紙編集長)
サブカルチャーというのは、世論形成にたいへん大きな影響をもっている可能性がある。
例えば、映画はサブカルチャー・メディアの一つであるが、一方で、『ラストサムライ』が封切られれば、日本に対するポジティヴなイメージが世界中にバラ撒かれることになるのに対し、他方で、『パールハーバー』が封切られれば、日本に対するネガティヴなイメージが世界中にバラ撒かれることになる。そういう意味で、覇権国である合衆国が、映画というメディアの世界の圧倒的な発信地であるハリウッドを持っていることは、たいへんに意味のあることといえる。
例えば、何らかの地球的危機(隕石の衝突でも何でもよい)に対して合衆国が地球を救う、というシナリオの映画を世界中で公開すれば、「合衆国は地球の救う国」であるかのようなイメージがバラ撒かれる。もちろん、このようなバラ撒きが常に成功するとは限らないが、合衆国がこういう「手段」を持っていることは、国際政治的に見ても大変に強みであると思われる。
それでは、日本にはハリウッドに匹敵するサブカルチャーを持っていないのだろうか。それが、大いに持っているのである。
第一に、マンガである。世界的にマンガの有名な国といえば、アメリカ、ベルギー、日本といったところであろうが、何と言っても日本のマンガは、質・量ともに他を凌駕している。日本のマンガはものすごい勢いで世界の至るところに発信されており、ヨーロッパでも日本のマンガが大量に翻訳されて売られている。
第二に、アニメである。圧倒的なマンガ文化を基盤に、良質な映像作成技術や多彩な声優などの要素が加わることにより、日本では良質なアニメを作成し続けている。ヨーロッパのテレビ放送では、日本のアニメが数多く翻訳されて放送されているし、宮崎駿のアニメ映画なども各地で公開されている。
第三に、ゲームである。任天堂のファミコン(欧州ではニンテンドー・エンターテイメント・システムと呼ばれる)を嚆矢として、セガサターンやプレイステーションなど、ゲームの世界ではこれでもかというくらい日本のメーカーが世界を席巻している。
したがって、日本は、合衆国にとっての映画に匹敵する、否、それを超えるかもしれない強力なサブカルチャー・メディアを保有しているといえるだろう。これは、日本にとって大きな強みである。したがって、日本という国の国家戦略としても、このサブカルチャー・メディアをいかに有効に活用していくかということは、きわめて重要なことなのではないかと思われる。
以上に述べたようなことを、私は1998年ないし1999年ごろから考えており(もっとも、もう少し原初的な形態ではあったが)、1999年ごろには、その話で友人とも語り合い、議論を重ね、大いに盛り上がっていた記憶がある。
その後、私は渡欧し、ひょんなことから欧州統合に出会い、その素晴らしさに魅了され、これをアジアに向けて発信する必要があると考えるようになり、これが結果的には欧州経済新聞社の創設に結びつくわけであるが(このことについては、又の機会に詳しく書こうと思う)、現在私がこういう「欧州からアジアへ」という方向の仕事をしているからといって、決して「日本から欧州へ」という方向を忘れたわけではないし、むしろその関心は高まるばかりである。
そういう時にあって、先日インターネットで見た麻生太郎外務大臣の演説は、まことに頼もしいものであった。これは、さきの自民党総裁選の際に、マンガ・アニメ・ゲームといった日本が誇るべきサブカルチャーのメッカというべき秋葉原で行われたものである。彼の主張は、私が数年来考えていたこととかなりの程度で軌を一にしており、このような人物が日本国の外務大臣に就任していることはたいへん喜ばしく、頼もしいと感じた。
彼が外務大臣に再任されたことは、国際社会において日本が尊敬を集める上で、きわめて有益なことであると思われる。一緒に居合わせた安倍首相ももちろんこの演説を聴いていたわけで、彼を外務大臣に再任しようと決めた背景には、この演説も一役買ったかもしれない。つまり、現在の日本に求められているのは、受信型ではなく発信型の外交だということである。
いずれにせよ、マンガ・アニメ・ゲームは、日本が世界に誇るサブカルチャーの三本柱である。今後とも、日本で優秀な人材が育ち、この重要なサブカルチャーを支えていってほしいものである。そのためには、お父さんやお母さんが子育てにあたって「国際的」になる必要があるだろう。
「国際的」というと、外国語を学ばせる等々と、どうしても受信型の国際主義を思い浮かべがちであるが、現在日本に求められているのは受信型の国際主義だけではない。もちろんこれも必要であるが、これについては明治維新以来延々とやってきているので、今更強調するまでもないのである。むしろ強調する必要があるのは発信型の国際主義のほうで、これらは日本のマンガを読み、日本のアニメを見て、日本のゲームをすることによってこそ、大いに養われるのではなかろうか。
(了)
〔参考リンク(本文中で取り上げたもののみ)〕
