〔社説〕ドイツの戦争責任に関するギリシャ人の訴えを退けた、欧州司法裁判所の良識ある判断を歓迎する
さる2月15日に、ドイツの戦争責任に関する一つの判決が欧州司法裁判所で下された。判決は、現在の国際法の基本的な枠組にのっとった良識あるものであり、また、その帰結も欧州の平和に資するものであり、妥当である。したがって、国際法による正義を尊重し、平和を愛好する本紙としては、この判決を大いに歓迎したい。
事案は、概ね次のようなものである。1943年12月13日にギリシャのカラヴリタ(Kalavrita)で起こったとされる虐殺について、その被害者とされる人々が、1995年にドイツ連邦共和国政府に対し、その損害賠償請求を求めて訴訟を起こした。何やらわが国の「従軍慰安婦」訴訟に似ているようだが、一つだけ大きな違いがある。
それは、「従軍慰安婦」訴訟が、賠償を求められる側の国である日本国の裁判所に提起されたのに対して、この裁判は、賠償を求める側の国であるギリシャの裁判所に提起されたという点である。この違いは、法的には大きな意味を持つ。
すなわち、現在の国際法上認められている重要な原則の一つに、主権免除という原則がある。これは、国家の主権平等の原則(par in parem non habet imperium)のコロラリーとして導かれるもので、要するに、「国家は他の国家を裁けない」というものである。つまり、ある国は、自分の国の裁判所で他の国を裁判にかけてはならないのである。したがって、A国の裁判所にB国を被告とする訴えが提起されても、A国の裁判所はこれを「裁判権が及ばない」として、却下しなければならないのである。
どうしてこういう原則が認められているかというと、要するに国際社会の平和を保つためである。A国がB国を裁判にかけるということは、B国の国家としての行為の当否をA国が判断できるということになる。これは内政干渉である。しかも、もしB国敗訴などということになろうものなら、B国として腹立たしいことこの上ない。両国関係に悪影響を与えることは必至だし、それが微妙な問題であれば、戦争が起こる可能性すらある。要するに、主権免除の原則とは、お互いの国に対する礼譲(comitas)の精神で成り立っている国際社会に波風を立てる行為を禁止するという意味をもっている。
もっとも、この主権免除については、考え方に若干の変遷がある。かつては絶対免除主義という考え方が世界の主流で、これは、外国国家が被告となる場合には必ず訴えを却下しなければならないというものである。しかし、20世紀を通じて国家の役割は著しく増加し、国家が純粋に経済的な行為を行なうことが増えてきた。そこで、国家行為を国家権力の発動にあたる行為(acta iure imperii)と経済的な行為(acta iure gestionis)の二つに分類し、前者にのみ主権免除を認めれば十分であるという考え方が次第に優勢となった。これを、相対免除主義というが、現在の世界の主流となっている。
本判決も、この枠組を前提としており、欧州司法裁判所は、戦争というのは国家権力の発動にあたる行為の典型的なものであるから、主権免除が認められなければならない、という判断を行った。より厳密にいうと、本件は、ブリュッセル条約(民事及び商事事件の裁判管轄及び判決の執行に関するブリュッセル条約)にいう「民事事件(Zivilsache)」に該当するかという点の解釈の争いという形を採っており、これについて、欧州司法裁判所は、その判断に主権免除の考え方を反映させる形で、ギリシャの控訴裁判所に対して、原告の訴えを却下するように指示したのである。
この良識ある判決により、欧州の平和は保たれることになる。もちろん、ナチスのしたことは重大な戦争犯罪である。しかしながら、それは、ニュルンベルク裁判を含め、法的には既に片の付いた過去の問題である。もし、各国が思い思いにドイツの戦争責任をほじくり返し、それを追及する判決を出すことができるとすれば、どうなるだろう。我も我もと、ヨーロッパ中で訴訟が起こされるだろう。そうなれば、ドイツとて黙ってはいまい。第二次世界大戦後、伝統的に中欧に住んでいたドイツ人たちは、みな追放され、迫害されたのである。
そもそも、ヨーロッパという大陸は、血塗られたドロドロの歴史を持っているから、過去に視線を合わせてしまうと、共存共栄しようという発想は出てこなくなってしまうのである。もちろん、過去の失敗から教訓を得るのは良い。しかし、過去にこだわるのはよくない。そして、欧州統合という運動は、過去の失敗から学びつつも、視線は将来に向けた運動である。この欧州統合の法の番人である欧州司法裁判所が、かかる判決を下したことは、よく考えてみれば、余りにも当然のことであるといえる。
今年元旦のルーマニア・ブルガリアのEU加盟にしても、何だか当然のことのように受け取られている節があるが、実は、バルカン半島というのは、かつて「弾薬庫」とまで言われた紛争多発地帯なのである。これらの国がEUへの加盟を果たしたということは、欧州の国々が将来に視線を向けているからこそ可能な出来事であった。このことを、我々は認識すべきであろう。
翻ってアジアを見ると、一体何をやっているのだという暗澹たる気分になる。そもそも、アジアという地域は、きちんと共存共栄さえできれば、次の覇権地域となる資格は十分なのである。だから、あまり昔のことにこだわっていないで、早く将来を見据えた行動をとったほうがよい。慰安婦訴訟や靖国参拝訴訟など、過去のことをほじくり返す訴訟は欧州的な視点から見ればナンセンスそのものであって、過去の失敗から学びつつ視線を将来に向けた東アジア共同体構想を進めることこそ、東アジア諸国が今まさになすべきことである。
