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2007年09月09日 - 社説

〔社説〕公的年金制度の理想的将来像――「国民皆年金」は廃止せよ(1/4頁)

日本では、参議院選挙以来、公的年金制度が注目の的になっている。この問題が議論されること自体はよいことだが、どうも着眼点がおかしいように思われる。すなわち、現在話題となっているような、社会保険庁の過誤や不正にいかに対処すべきかとか、逼迫した財政状況に対処するための財源をどこに求めるかといった問題は、要するに対症療法的な問題であり、したがって本質的な問題ではない。むしろ、まずもって議論しなければならないのは、公的年金制度の将来像をどうすべきかという問題であろう。今回は、この観点から公的年金という制度について考察を加えてみたい。

そもそも公的年金というのは、経済学的に正当化されえない制度である。すなわち、ある財の効用が特定の人の私有に帰するのではなく、広く薄く公共に及ぶという場合(国防・外交・警察・教育・公衆衛生など)に、その財を公共財というが、この公共財については、他人の購入する公共財の効用にただ乗り(フリーライド)して済ませばよいということになるから(いわゆる外部不経済)、合理的経済人(ホモ・エコノミクス)であれば、そのような財を積極的に購入する決断を行うことはない。したがって、市場メカニズムに任せると、誰も買い手がつかず、商売として成り立たないので誰も供給しないということになる。しかし、国防・外交・警察・教育・公衆衛生などというのは、皆にとって重要なインフラであり、そもそも経済というものが成り立つ前提であるから、これが供給されないと困る。そこで国家というものの出番となる。

「国家がなぜ必要か?」という議論にはホッブズ以来の伝統があるが、要するに国防・外交・警察・教育・公衆衛生といった公共財を国民に広く提供して経済のインフラを整備するとともに、その資金として税金を国民から強制的に徴収する、というところにその本質がある。防衛省・外務省・警察庁・文部科学省・厚生労働省・財務省といった役所が国の機関となっているのは、そういうわけである。

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