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<title>欧州経済新聞巻頭言・社説</title>
<link>http://editorial.oushu.net/</link>
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<language>ja</language> 
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<lastBuildDate>Tue, 17 Jun 2008 03:08:15 +0100</lastBuildDate>
<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

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<title>〔社説〕アイルランドにおけるリスボン条約批准否決について</title>
<description><![CDATA[<p>「2008年6月12日に行われたアイルランドの国民投票によりリスボン条約の批准が否決された」ことが世間を賑わせているので、本紙でも若干の意見を述べておくことにする。</p>

<p>結論からいうと、欧州統合にとって大した事件ではない。そもそも、ニースからポストニースという流れは、「EUの東方拡大によりEUの機構が機能不全に陥ることが懸念されるため、それに対処するために機構改革を実施する必要がある」という考慮から生まれた改革の流れであった。</p>

<p>ところが、実際にEUが27か国に拡大した現在でも、EUの機構が機能不全に陥っているという印象はない。<a href="http://www.oushu.net/">本紙</a>を講読されている方ならお分かりの通り、リスボン戦略の影響もあって、立法手続のスピードはかつてよりもむしろ迅速化されている印象がある。内容的にもかなりの包括性を有する重要法案がバンバン通っており、欧州会社の創設に何十年も要した頃とはまったく別の様相を呈している。</p>

<p>したがって、「そもそもポストニースの改革は本当に必要であったのか」という根本的な点に疑問を呈さざるを得ない。実際には、リスボン条約など発効しなくとも、EUの機構は現状通り円滑に機能していくものと思われる。したがって、今回のリスボン条約の批准否決も、関税同盟と域内市場の完成と深化というEUの目的からすれば、かなりどうでもいい事件であると考える。</p>

<p>なお、付言しておくと、議長国や外交についてのEUの制度がかなり「変わっている」ことは確かであろうが、いずれもそれなりに機能していると思われるし、議長制度に関しては半年輪番のほうが半年ごとに新たな刺戟が与えられてむしろ優れているようにも思われる。「EU」と「欧州共同体」を書き分けなければならないのは確かに面倒であるが、慣れてしまえばどうということもないことであるし、これが「EU」に一本化されても概念の整理以上の実益は大して生じない。基本権憲章への法的効力の付与についても、現に欧州司法裁判所の判例により人権保障が確立している以上、象徴的な意味合いのほうが強い。</p>

<p>ところで、大方のメディアの報道では「アイルランドの国民投票によりリスボン条約の批准が否決された」といわれているが、これはやや正確さを欠く。正確にいうと、「リスボン条約の批准のためにはアイルランド憲法の改正が必要であり、この憲法改正のために国民投票が行われたが、この国民投票が否決された」ということである。</p>

<p>なぜ憲法改正が必要だったかというと、1986年の単一欧州議定書（域内市場の実現を主眼とした改正条約）の批准の際に、アイルランド最高裁判所が以下のような判示を行ったためである（<a href="http://www.bailii.org/ie/cases/IESC/1987/4.html">クロッティ対首相（ティーシャク）事件判決</a>6段落目）：</p>

<blockquote>"It is the opinion of the Court that the first sentence in Article 29, s. 4, sub-s. 3 of the Constitution must be construed as an authorisation given to the State not only to join the Communities as they stood in 1973, but also to join in amendments of the Treaties so long as such amendments do not alter the essential scope or objectives of the Communities. To hold that the first sentence of Article 29, s. 4, sub-s. 3 does not authorise any form of amendment to the Treaties after 1973 without a further amendment of the Constitution would be too narrow a construction; to construe it as an open-ended authority to agree, without further amendment of the Constitution, to any amendment of the Treaties would be too broad."</blockquote>

<p>要するに、「欧州諸共同体の本質的な範囲および目的」に変更が加えられる場合には憲法改正が必要で、そうでない場合には憲法改正が必要ないということである。このため、「欧州諸共同体の本質的な範囲および目的」に変更が加えられる条約改正にあたっては、つねに憲法改正のための国民投票が行われることになる。なぜなら、<a href="http://www.taoiseach.gov.ie/attached_files/html%20files/Constitution%20of%20Ireland%20(Eng).htm">アイルランド憲法46条2項</a>は、以下の通り、すべての憲法改正には国民投票が必要であると規定しているからである。</p>

<blockquote>Every proposal for an amendment of this Constitution shall be initiated in Dáil Éireann as a Bill, and shall upon having been passed or deemed to have been passed by both Houses of the Oireachtas, be submitted by Referendum to the decision of the people in accordance with the law for the time being in force relating to the Referendum.<br />
<br />
註）「ウラクタス」（Oireachtas）とはアイルランドの議会のことで、「ドール・エレン」（Dáil Éireann）と「シャナード・エレン」（Seanad Éireann）の二院により構成される。</blockquote>

<p>しかし、果たしてこのアイルランドの憲法制度が妥当なのかどうかという点には根本的な疑問がある。</p>

<p>第一に、アイルランドの憲法改正制度は、すべての憲法改正に国民投票を要求する点で我が国の憲法改正制度ときわめてよく似ているわけだが、そうだとすると、最高裁判所が毎回の条約改正に憲法改正を要求したのは、ハードルの上げ過ぎであったと思われる。ドイツのように連邦議会と連邦参議院の議決のみで憲法改正ができる国であればともかく、憲法改正に議会手続のみならず国民投票まで要求する国では、日本国憲法のように各規定の射程に相当の幅を持たせて、余り頻繁に国民投票が必要ないように制度設計すべきであろう。この点で、アイルランド最高裁判所の解釈はやや狭すぎて、制度設計の面でバランスを欠いているといえる。</p>

<p>第二に、その後何度もアイルランドは憲法29条の改正を行っているわけだが、なぜ将来の条約改正をすべてカバーできるような条文に改正しないのかが不可解である。今回の改正案は<a href="http://www.oireachtas.ie/documents/bills28/bills/2008/1408/b1408d.pdf">こちら</a>であるが、このような条文では、次回以降の改正の際にも再び国民投票を行わなければならなくなる。もう少し文言を一般的・抽象的にして、その後の改正がスムーズに行えるようにしようという智慧（というか立法技術）はアイルランドにはないのであろうか。上述の判例も、文言がかくも具体的だからこういう解釈になるという側面があるわけで、そもそも憲法改正により条文をもっと抽象的にすることによって、上述の判例をひっくり返せばよかっただけの話ではないだろうか。</p>

<p>いずれにせよ、今回のリスボン条約の批准で国民投票が法的に要求されたのが（EU27か国中）アイルランド一国のみであったという点が、この憲法制度のおかしさを物語っているといえる。したがって、アイルランドは、憲法制度の見直しを行ったほうがよい。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200806178550.php</link>
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<category>社説</category>
<pubDate>Tue, 17 Jun 2008 03:08:15 +0100</pubDate>
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<title>新年のご挨拶</title>
<description><![CDATA[<p>新年明けましておめでとうございます。本年も欧州経済新聞社をよろしくお願いいたします。</p>

<p>2008年は、景気後退とインフレの結合により、EU経済にとっては多難な年になりそうです。このようなときこそ、EU法令の動向をしっかりとチェックし、長期的な視点からビジネスを展開しましょう。ぜひ本紙をこまめにチェックして、5年後、10年後を見据えた経営戦略を構築し、欧州ビジネスを成功させてください。</p>

<p>2008年が、皆さまにとって素晴らしい年となることを心よりお祈りいたします。</p>

<div style="text-align: right;">欧州経済新聞社mbH</div>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200801058254.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Sat, 05 Jan 2008 01:05:16 +0100</pubDate>
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<title>天皇誕生日をお祝いして</title>
<description><![CDATA[<p>天皇陛下は74歳のお誕生日を迎えられました。陛下のご長寿を心よりお祝い申し上げます。</p>

<p>わが国は、明治維新・王政復古により長かった徳川軍事独裁政権の歴史を終了し、大日本帝国憲法の制定により立憲君主国としての道を歩み始めました。その後のわが国の発展はめざましく、一度大きな敗戦があったものの、基本的には絶えざる右肩上がりの発展の歴史を歩み続けました。現在、日本国は、経済的にも文化的にも最も豊かな国の一つとして、世界中の尊敬と信頼を得ています。このことは、日本人としてたいへん誇りとしてよいことです。</p>

<p>わが国が欧米列強の脅威にさらされていた明治期に、大日本帝国憲法の起草者である伊藤博文公の慧眼は、欧米の文化の精神的機軸はキリスト教にあることを夙に見抜いていました。伊藤公はまた、わが国にはそれに匹敵する精神的機軸が存在しないことも見抜き、それに匹敵する精神的支柱として皇室を位置づけ、ややもすれば迷走し兼ねなかった日本国民を精神的にまとめ上げることに成功しました（詳細は<a href="http://editorial.oushu.net/articles/20050402105.php">この社説</a>を参照）。</p>

<p>その結果、日本国と日本人は、独自の精神的機軸を基盤として安定した社会を構築するとともに、自尊心と誇りを保ちつつ大きな経済的・文化的発展を成し遂げることができました。けだし、これこそが、日本国憲法1条が天皇陛下を「日本国及び日本国民統合の象徴」と位置づけていることの意味でしょう。このような意味で、わが国の立憲君主制が、国歌のいうように「千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで」末永く続くことを願わずにはいられません。</p>

<p>陛下のますますのご健康とご長寿をお祈りいたします。</p>

<div style="text-align: right;">欧州経済新聞社</div>

<p>※クリスマス期間中、欧州は祝日となりますのでご注意ください。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200712238248.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Sun, 23 Dec 2007 05:57:19 +0100</pubDate>
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<title>リスボン条約の調印を祝う</title>
<description><![CDATA[<p>リスボン条約が調印されました。このことは、欧州統合を専門とする弊紙にとってたいへん喜ばしいことであり、心からの祝意を表したいと思います。拡大による機能不全を防ぐため、機構改革の必要性がEUの重要問題の一つになってからかなりの時間が経過してしまいましたが、リスボン条約の調印により、この問題に一応のけりがついたことは素晴らしいことです。</p>

<p>もっとも、EUの機構改革というのは、関税同盟と域内市場の実現というEUの目的を達成する手段に過ぎません。かつて欧州憲法条約がフランス・オランダの国民投票で否決されたときには、メディア等にも、これを過大評価して必要以上に悲観的になる論調が見られました。しかし、機構改革はEUの目的の一手段に過ぎない以上、欧州統合の進捗度を測る真のバロメータは、機構改革の成否ではなく、域内市場の深化の度合いであるというのが、欧州経済新聞の認識です。</p>

<p>したがって、今回のリスボン条約の調印についても、これを過大評価することなく、冷静に受け止めつつも、機構改革という一つの大きな問題が片付いたことにより、ようやく欧州連合が域内市場の実現という本来の目的に本腰を入れられる態勢が整うことを、素直に喜びたいと思います。</p>

<p>ところで、わが国では立法機関が完全に機能不全に陥っているようですが、大丈夫でしょうか。本紙をご覧の皆さまは、EUが連日新法令をどんどん成立させていることを目の当たりにされているわけですが、リスボン条約の施行によってそのスピードはさらに速まっていくことでしょう。</p>

<p>世界の国々が凌ぎを削って競争力強化に努めている以上、現在、新法制定や法令改正の必要性は過去のどの時代よりも高まっています。遅くとも、リスボン条約が施行される2009年の元旦くらいまでには、日本も何らかの方法で立法機関の機能不全を取り除いておかないと、グローバル経済の中で太刀打ちできなくなっていくのではないでしょうか。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200712148217.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Fri, 14 Dec 2007 01:17:25 +0100</pubDate>
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<title>夏期休業代休のお知らせ</title>
<description><![CDATA[<p>2007年10月8日（月）より10月16日（火）は夏期休業代休のためお休みとなります。期間中は弊社のすべてのサービスがお休みとなりますのでご注意ください。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200710058076.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Fri, 05 Oct 2007 21:24:58 +0100</pubDate>
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<title>〔社説〕公的年金制度の理想的将来像――「国民皆年金」は廃止せよ</title>
<description><![CDATA[<p>日本では、参議院選挙以来、公的年金制度が注目の的になっている。この問題が議論されること自体はよいことだが、どうも着眼点がおかしいように思われる。すなわち、現在話題となっているような、社会保険庁の過誤や不正にいかに対処すべきかとか、逼迫した財政状況に対処するための財源をどこに求めるかといった問題は、要するに対症療法的な問題であり、したがって本質的な問題ではない。むしろ、まずもって議論しなければならないのは、公的年金制度の将来像をどうすべきかという問題であろう。今回は、この観点から公的年金という制度について考察を加えてみたい。</p>

<p>そもそも公的年金というのは、経済学的に正当化されえない制度である。すなわち、ある財の効用が特定の人の私有に帰するのではなく、広く薄く公共に及ぶという場合（国防・外交・警察・教育・公衆衛生など）に、その財を公共財というが、この公共財については、他人の購入する公共財の効用にただ乗り（フリーライド）して済ませばよいということになるから（いわゆる外部不経済）、合理的経済人（ホモ・エコノミクス）であれば、そのような財を積極的に購入する決断を行うことはない。したがって、市場メカニズムに任せると、誰も買い手がつかず、商売として成り立たないので誰も供給しないということになる。しかし、国防・外交・警察・教育・公衆衛生などというのは、皆にとって重要なインフラであり、そもそも経済というものが成り立つ前提であるから、これが供給されないと困る。そこで国家というものの出番となる。</p>

<p>「国家がなぜ必要か？」という議論にはホッブズ以来の伝統があるが、要するに国防・外交・警察・教育・公衆衛生といった公共財を国民に広く提供して経済のインフラを整備するとともに、その資金として税金を国民から強制的に徴収する、というところにその本質がある。防衛省・外務省・警察庁・文部科学省・厚生労働省・財務省といった役所が国の機関となっているのは、そういうわけである。</p>

<p>ところが、年金という財は、その効用が特定の人に帰属するから、公共財ではない。したがって、基本的に市場メカニズムに委ねてもよい種類のものである。したがって、公的年金という制度自体、経済学的に正当化することができないものである。郵便や通信などと同じく、社会保険庁を国の機関から切り離すことができるのはこのためである。つまり、経済的には、必ずしも国が提供しなければならないサービスというわけではない。</p>

<p>それでは、なぜ公的年金というものは存在するのか。これについては、歴史的観点から一応の説明をつけることができる。</p>

<p>すなわち、中世においては、身分的封建制の下、人と生産手段が結合した形で経済活動が営まれていた。そもそも、身分的封建制というのは、農家と農地を結合させて固定し、生産活動を行わせる制度である。この制度の下では、農家は、農地という生産手段を離れることができない代わりに、この生産手段を失うこともない。つまり、食いはぐれることはない。また、工業についても、当時は家内工業のレベルだったので、職人の家は、工具・技術といった生産手段を自ら保有していた。したがって、食いはぐれることはなかった。</p>

<p>ところが、産業革命が起こると、大量生産・大量消費の世の中になり、生産効率性を上げるため、人と生産手段の分離が進んだ。すなわち、炭鉱や工場といった生産手段を自ら所有する資本家と、このような生産手段をまったく所有しない労働者の二種類に分かれた。労働者というのは、要するに無産階級であるから、老齢になって生産性が下がり、炭鉱や工場から解雇されてしまえば、生産手段を完全に失ってしまうわけである。生産手段を完全に失うということは、食いはぐれるということである。</p>

<p>ここに、公的年金の存在理由がある。大量生産・大量消費の工業社会において、生産手段を失った老齢者が食いはぐれないようにするため、強制的に掛金を積み立てさせてそれを老後の生活のために支給する、という仕組みをつくった。これが、公的年金の制度である。</p>

<p>ところで、このような観点からすれば、そもそも資本家や自営業者といった人々は、工業社会においても自ら生産手段を有しているわけだから、年金など必要がないはずである。ここに、「国民皆年金」という制度のおかしさがある。つまり、このような人々まで年金に強制的に加入させられ、保険料が徴収されるというのはおかしいということである。実際、ドイツでは、この種の人々には概ね公的年金に加入する義務がない（もし必要ならば民間の年金に加入すればよい）。</p>

<p>さらに、時代は、情報処理技術の著しい発達を背景として、工業社会から知識社会へと移行しつつある。このため、現在では、人々が、かつてほど大きな資本を必要とすることなく、生産活動・商業活動を営めるようになった。日本では、2005年に会社法が改正されて最低資本金制度が撤廃されたが、これは旧来の工業社会の会社法を、知識社会の到来に適合させたということである。したがって、今後、生産手段を自ら所有する人々の数はますます増えていくだろう。このような流れは、国際的な潮流でもあり、今後とも、世界的に人と生産手段の再結合の流れは加速していくはずである。</p>

<p>このような流れに鑑みれば、そもそも、公的年金というものの存在理由もどんどん限定されたものとなっていくわけである。したがって、公的年金という制度は、今後基本的に縮小に向かっていく、というのが世界の歴史の流れによる宿命なのである。</p>

<p>以上のような、経済学的・歴史的認識に基づくと、具体的にはまず何をすべきだろうか。まずは年金加入義務を緩和して「国民皆年金」を廃止することこそが重要であろう。これを論じずして、社会保険庁の過誤・不正や財源について議論しても、余り本質的な解決には至らないものと思われる。</p>

<p>つまり、現在与野党がともに志向している、年金に対する信頼を回復させたり、財源を確保したりといった方向性は、単なる公的年金制度の延命措置に過ぎないから、方向として本来とるべき方向とは真逆のものである。そうではなく、今回年金に対する信頼が完膚なきまでに失墜したことをむしろ機縁として、公的年金制度自体を縮小していくのが筋であろう。そうしないと、根本的な解決にはならない。<br />
</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200709097956.php</link>
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<category>社説</category>
<pubDate>Sun, 09 Sep 2007 22:01:06 +0100</pubDate>
</item>
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<title>日本国の債務残高に思う</title>
<description><![CDATA[<p>本日は<a href="http://www.oushu.net/articles/200708297893.php">連合王国の債務残高のニュース</a>があったので、参考までに<a href="http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/007.htm">債務残高の国際比較</a>を見ていただくと、日本の債務残高は群を抜いて多いことが分かる。</p>

<p>以前<a href="http://editorial.oushu.net/articles/200707307710.php">社説</a>にも書いた通り、「年金制度を維持します」などというのはポピュリストの主張であり、こういう主張を与野党とも参院選の際にしていたことはたいへん残念である。年金制度など晩かれ早かれ壊すべきものであって、少なくとも「国民皆年金」などという愚かな制度は早く崩壊させたほうがよい。経過的に受領額の少ない層が出てくるとしても、それを受忍して若年層から段階的に年金加入義務を緩和していくのが筋であろう。それが国家百年の計というものである。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200708297894.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Wed, 29 Aug 2007 04:47:19 +0100</pubDate>
</item>
<item>
<title>〔社説〕参院選総括：グローバル化と新自由主義</title>
<description><![CDATA[<p>今回の参議院選挙は、年金問題（と政治資金の問題）が争点となった選挙であった。したがって、この問題についての国民の審判は出たものと考えてよい。政府・与党は、これらの問題については国民の意思を尊重するのが当然だろう。</p>

<p>もっとも、管見した限りでは、年金問題といっても、社会保険庁の失策にどういう絆創膏を貼っていくかという問題ばかりが焦点となり、「年金制度をどう壊していくか」という肝心の問題についてはほとんど議論とならなかったようである。</p>

<p>いうまでもなく、過去の世代が積み重ねてきた浪費・散財の結果について、たまたま少子高齢化社会に生まれた若い世代に皺寄せが来てはならないことは当然である。したがって、人口増加と高度成長を前提に構築された現在の年金制度は、何らかの形で「壊していく」必要があるわけである。しかしながら、今回の選挙においてそこの議論がまったくなかったのは、たいへん残念なことである。</p>

<p>ドイツの2005年の選挙においては、「いかに個人の税負担を増やすか」という問題と「いかに社会保障制度を壊していくか」という問題の二つが組み合わさって選挙の中心論点を形成していたわけだが、今回の日本の参議院選挙では、こういう核心的な問題は、まったく中心論点を形成していなかった。これは、たいへん残念なことである。</p>

<p>つまり、このグローバル化の世の中においては、各国とも新自由主義の政策をとる以外に政策の選択肢はないのだから（そうしないと国自体が競争力を失って没落する）、個人に対する増税と社会保障の削減は避けられないのであり、これを正直に訴えなかったという意味では、与党も野党も同罪である。</p>

<p>ちなみに、ここでいう「グローバル化」とか「新自由主義」といった言葉は、次のような意味で使用している。まず、「グローバル化」というのは、企業が世界全体との競争に曝されるということである。グローバル化の中で自国の企業が生き残るために、国は、法人税やら社会保障費やら労働者保護やら煩雑な行政手続といった負担からなるべく企業を解放してやり、それによって基礎体力をつけさせるとともに（もちろん、国内から企業が逃げてしまわないようにするという意味もある）、民営化や規制緩和によって競争を促進することにより、企業自体をシェープアップさせる、という政策を採用する必要がある。これが、新自由主義の政策である。</p>

<p>その場合、企業の負担を軽減し、なおかつ国が財源を確保するためには、個人に対する課税を強化する（所得税や消費税（EUでは付加価値税）を上げる）とともに、社会保障を削る以外に選択肢はないわけである。なお、消費税（付加価値税）というのは、最終的な税負担はすべて消費者に転嫁されるため、原則として企業に実質的な税負担は及ばない税制である。</p>

<p>いずれにせよ、今回の選挙においては、「いかに個人の税負担を増やしていくか」、「いかに年金制度を壊していくか」という新自由主義政策の核心的論点については、国民の審判が仰がれなかったものと解される。しかしながら、本来ならば、これらの「痛みを伴う」改革については国民の審判を仰ぐべきものである（少なくともドイツとの比較においてはそう感ずる）。この点、「郵政民営化」について国民の審判をきちんと仰いだ小泉前首相は立派であった。</p>

<p>それに較べて、ハガキの送り方やら何やらといった枝葉末節ばかりをだらだらと議論していた今回の与野党には、そもそもアジェンダ・セッティングの時点で根本的に問題があったといえる。間接民主制を採用するわが国において、国民の審判を仰ぐことのできる唯一の機会は選挙なのだから、それを枝葉末節の論点で消尽してしまった与野党の責任は大きい。この不適切なアジェンダ・セッティングに便乗してしまったメディアも同罪だろう。</p>

<p>アジェンダ・セッティングの不適切事例は、ドイツの2002年選挙においても見られる。この選挙では、SPDと緑の党が政権を維持するため、なりふり構わず「イラク戦争反対」を叫び続けたことから、これが選挙の中心論点となってしまった。</p>

<p>かくして新自由主義政策に関する国民の審判を仰がないまま、第二次シュレーダー政権が誕生したわけだが、わずかその半年後にシュレーダー政権は「アジェンダ2010」という新自由主義政策を公表した。それが大量の脱党者や支持者の離反を生むことになり、ひいては政権運営が不可能となるまでの打撃となったのである（ドイツでは州選挙で負けるごとに連邦参議院の票が減っていくので、じりじりと政権運営が困難になっていく）。</p>

<p>この苦い経験に懲りて、2005年の選挙では各党とも増税と社会保障改革という根本問題を正面に据えて国民の審判を仰いだ。このため、その後の連立政権が新自由主義政策を展開しても、国民の反発や抵抗はほとんど起こらなかったのである。これは、アジェンダ・セッティングの正解例である。</p>

<p>このことから分かるように、選挙時のアジェンダ・セッティングは、その後の政権運営に絶大な影響を与えるものであり、よほど慎重にやらなければならないものである。</p>

<p>とくに、新自由主義政策というのは、「格差社会」を生むなどといわれて、ただでさえ評判が良くないのだから、郵政解散のときのように、きちんと国民の合意を取り付けておく必要性はきわめて高いのである。</p>

<p>ちなみに、「格差社会」が自民・公明連立与党の専売特許であるかのようにいわれることもあるが、それは違うだろう。たとえ民主党が政権をとっても、海の向こうからEUやアメリカは新自由主義でガンガン攻めて来るし、隣国の「世界の工場」中国からは世界一安い製品が世界に向けてバンバン輸出されるのだから、とても新自由主義はやりませんなどとは言っていられる余裕はない（もしそんなことをしたら日本は沈む）。実際、ドイツにおいても、「社会民主党」を名乗る政党（SPD）がガンガン新自由主義政策を推進しており、看板の掛け違いかと見まがうほどである。</p>

<p>どうも、日本は少し景気が良くなって気が緩んでいるのではないかとも思えるが、弱肉強食のグローバル化の世の中において油断は禁物である。本紙を読んでいれば分かるように、こうしている間にも、EUは「リスボン戦略」にのっとって、世界最大の共同市場に関する規制緩和・民営化・競争促進の政策を次々に打ち出しているのである。<br />
</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200707307710.php</link>
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<category>社説</category>
<pubDate>Mon, 30 Jul 2007 21:50:45 +0100</pubDate>
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<item>
<title>看護師らを取り戻したEUが日本に与える勇気</title>
<description><![CDATA[<p>EUは、その外交的な圧力により、8年以上にわたってリビアに拘束されていたブルガリア人看護師ら6名の帰国を実現させました。ところで、この事件でのEUの立場を日本に置き換え、反欧米のテロ国家であるリビアを同じく反日米のテロ国家である北朝鮮に置き換えると、この事件が拉致問題とまったく同じ構図を持っていることが分かります。</p>

<p>つまり、このニュースは、すべての拉致被害者の帰国の実現を目指す日本に対して、大きな勇気を与えるとともに、国際社会を大きく巻き込んだ外交的圧力をかけることの重要性を教えてくれるものといえます。日本国にも、EUと同じく、自国民保護という国家の根本的責務を全うすることが期待されます。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200707257672.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Wed, 25 Jul 2007 06:34:10 +0100</pubDate>
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<title>新潟県中越沖地震：心よりお見舞い申し上げます</title>
<description><![CDATA[<p>本日の紙面に先立ちまして、新潟県中越沖地震におきまして被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。現在行われている救援活動により、多くの人命が救われるとともに、二次災害による被害が最小限に食い止められることをお祈りしております。</p>

<p>この地震の情報につきましては、<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/niigatajoutyuuetu/index.html">首相官邸</a>・<a href="http://bosai.pref.niigata.jp/bosaiportal/0716jishin/">新潟県庁</a>・<a href="http://www.jma.go.jp/jma/index.html">気象庁</a>の各ウェブサイトをご覧下さい。</p>

<p>また、近々<a href="http://bosai.pref.niigata.jp/bosaiportal/0716jishin/kyuen/index.html">新潟県庁</a>や<a href="http://www.jrc.or.jp/sanka/help/index.html">日本赤十字社</a>等で義援金の募集が開始されると思われますので、ぜひご協力ください。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200707167595.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Mon, 16 Jul 2007 22:49:59 +0100</pubDate>
</item>
<item>
<title>参院選：在外公館投票が始まりました</title>
<description><![CDATA[<p>第21回参議院議員通常選挙が12日に公示され、在外公館投票が欧州各地で13日より始まりました。今回の参院選では、従来の比例代表選挙に加えて、登録地の選挙区選挙にも投票できるようになりました。比例代表選挙の届出政党・選挙区選挙の候補者は、<a href="http://www.soumu.go.jp/senkyo/s_tsujyo21/index.html">総務省のウェブサイト</a>で確認できます。</p>

<p>投票の方法・投票期間など、詳しくは<a href="http://portal.oushu.net/7570.php">管轄の在外公館のウェブサイト</a>をご覧下さい。</p>

<p>なお、衆議院議員補欠選挙（岩手第一区・熊本第三区）については17日に告示され、その後欧州各地で在外公館投票が行われる予定です。こちらについても、詳しくは<a href="http://portal.oushu.net/7570.php">管轄の在外公館のウェブサイト</a>をご覧下さい。<br />
</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200707137585.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Fri, 13 Jul 2007 19:19:51 +0100</pubDate>
</item>
<item>
<title>新サービス開始のお知らせ</title>
<description><![CDATA[<p>欧州経済新聞では、この度、新サービスとしてEUニュースの無料配信サービスを開始しました。これは、欧州委員会・欧州議会等のEUの諸機関より発表される公式情報を、そのまま日本語に翻訳<sup>*)</sup>してご提供するサービスです。欧州連合より直接配信される情報をそのまま翻訳して配信いたしますので、EUの生の情報を、正確性と信頼性を損なうことなくお届けすることができます。</p>

<p>これは、形式的には今年2月に終了したヘッドラインニュース（「オンデマンド通信社サービス」のカタログとして配信していたもので、同サービスの終了に伴って配信終了）の後継となるものですが、内容的にはそれを凌駕する圧倒的な質と量を有するものとなりました。したがって、皆さまにもきっとご満悦いただけると確信しております。</p>

<p>新サービスを通じて、今後ともますます皆さまのお役に立てるよう頑張ってまいりますので、ひきつづき、お引き立て・応援のほどよろしくお願いいたします。</p>

<p>*) この翻訳は、欧州連合諸機関とのライセンス契約による翻訳許諾に基き、欧州経済新聞社が行っております。</p>

<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　欧州経済新聞社編集部<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　欧州経済新聞社翻訳事業部</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200707117565.php</link>
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<category>巻頭言</category>
<pubDate>Wed, 11 Jul 2007 19:40:36 +0100</pubDate>
</item>
<item>
<title>〔社説〕米民主党を応援した日本のメディアの愚行のツケ――米大統領選では教訓を生かせ</title>
<description><![CDATA[<p>アメリカ合衆国の下院で、いわゆる「従軍慰安婦」に関する対日非難決議案なるものが提出されている。これは、これまでに同院で再三に亘って提出されては廃案とされ続けている決議案であり、要するに、合衆国の下院自身がこのような決議の必要性を再三にわたって否定し続けてきたということである。にもかかわらず、この法案を性懲りもなく提出し続けているのが米民主党の一議員である。</p>

<p>そもそも、米民主党というのは、広島・長崎への原子爆弾の投下を命じた、あのフランクリン・ルーズヴェルトの政党である。</p>

<p>合衆国の外交史を少し調べれば分かるが、1920年代から1930年代前半にかけて共和党が合衆国の政権を担当していた頃は、日米関係はおおむね良好であった。</p>

<p>ところが、民主党のルーズヴェルトが大統領に就任してから日米関係は次第に悪化に向かうことになる。ABCD包囲網（日本に対して石油を封鎖する包囲網）、ハルノートと次第に日本を追い詰めていき、ついには日米開戦に至るわけである。そして、米民主党は、終戦間際に世界で始めて原子爆弾を使用し、広島・長崎で数十万人の民間人を殺傷するという人類史上稀に見る大量虐殺を行ったわけである。</p>

<p>しかも、民主党のルーズヴェルトは、戦時中、当時合衆国にいた日系人を強制収容所に送り込むという最悪の人権侵害を犯している。これは、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだナチスのヒトラーと実質的に変わらない所業である。</p>

<p>このように、米民主党というのは、昔から反日的な傾向をかなり明確に有する政党であり、しかも、日本人に対する甚だしい殺戮行為と人権侵害を率先して行った政党（しかも謝罪すらしていない）であるから、もし日本の国益を考えるならば絶対に支持してはならない政党のはずである。</p>

<p>ところが、驚くべきことに、なぜか2004年の大統領選挙では、日本のメディアの中には、共和党のブッシュを批判し民主党のケリーを支持するような論調をとるものが多かった。2006年の中間選挙においても、そのような傾向があった。おそらく日米外交史の基礎さえ知らない知識不足の記者が書いたものだろうが、余りにも不用意である。</p>

<p>なぜなら、日本の政治というのは合衆国の政治とリンクしているからである。日本が安保条約に依存し続ける限りは、合衆国の影響力から逃れられるはずはないのであって（だからこそ、日本は早く安保体制からの脱却を図ることにより自主性を回復すべきであるが、いずれにせよ現状においては）、メディアも合衆国の日本国の内政への影響力をきちんと認識し、それを前提とした上で報道活動を展開すべきである。</p>

<p>面白いことに、1993年に合衆国で民主党政権（クリントン大統領）が誕生すると、日本でも同年に自民党政権（宮沢内閣）が倒れて、左派政党を含む新党連立政権（細川内閣・羽田内閣）が発足し、その次には何と社会党の村山富市が首相になっている（1996年まで）。さらにその次を継いだのは親中・親露の橋本龍太郎である。次の小渕恵三はようやくまともな首相であり、沖縄でサミットを開催するなど米民主党にしっかりとものを言う人物だったが、2000年に謎の急死を遂げている。そしてこの間、概ね日米関係はあまり良くなかった。日本は内政も外交も方向性が定まらずに迷走し、まったく元気がなかった。</p>

<p>ところが、合衆国で共和党政権（ブッシュ大統領）が誕生すると、日本でも小泉純一郎政権が誕生し、日米関係は一挙に蜜月関係に変貌した。現在の国際関係は合衆国を中心に回っているので、この間に日本の国際的地位は大きく向上したわけである。内政も外交も方向性が明確になり、日本は元気を取り戻した。</p>

<p>要するに、単純化して言うと「共和党＝親日」「民主党＝反日」という構図は1930年代から変わっていないのである。したがって、日本の国益を追求していく上では、共和党を応援すべきだという結論になるはずである。少なくとも、民主党を応援するメリットは日本にとって何もないし、むしろジャパン・バッシングなどの害悪が発生するだけである。</p>

<p>ところが、どうも日本のメディアは政党ではなく個人に着目する癖があるようで、ブッシュは大学の成績が悪かったとか、かつて酒飲みだったとか、娘が未成年飲酒したとか、逆にヒラリー・クリントンは才色兼備だとか、そういうワイドショー的な話ばかり出てくる。</p>

<p>しかし、そんなことは日本にとってはどうでもよいことである。仮にヒラリーに才能があったとしても、その才能がジャパン・バッシングに使われるならば、日本国民の生活は一つもよくならない（むしろ悪化する）。つまり、候補者がどんな人となりだろうと、日本人ひとりひとりの国民生活にはまったく関係がない。</p>

<p>そうではなく、日本国民にとって本当に重要なのは、どの政党が勝つかという問題である。つまり、「共和党が勝つか、民主党が勝つか」というただ一つの問題なのである。</p>

<p>そして、今回の件はその一例である。現在下院の動きが日本にとって気になるのは、前回の中間選挙により民主党が下院の多数派になってしまったために、この決議案が可決されてしまうおそれがあるからである。これは、中間選挙で民主党を勝たせてしまったツケがまわってきたということを意味する。そして、その責任の一端は、民主党を応援するような国益を無視した愚かな報道を行った日本のメディアにもあるのである。</p>

<p>したがって、前回の大統領選挙で日本の国益を損なう報道活動を行ったメディアは、二度と同じ間違いを繰り返さないようにしてもらいたい。しかしながら、どうも決議案の報道を見ている限り、ちっとも改まっていないように思われる。</p>

<p>すなわち、日本のメディアは、今回の件でも、決議案を提出した議員の人物（特に出自）に焦点を当ててばかりいる。しかし、この人物がいかなる人物であろうと、それはどうでもいい事柄である。そうではなく、この人物が民主党の議員であり、民主党の議員がこの議案を提出しているというところが大いなる問題なのである。</p>

<p>そして、この場合、真っ先に糾弾すべきなのは米民主党（及びこの議員）なのであって、下院でもなければ、ましてや合衆国そのものでもない。つまり、「アメリカは云々」「合衆国下院は云々」という批判は、お門違いの批判である。今回の機会に、米民主党の批判をきっちりと行い、二度と米民主党を応援しない決意を固めることが肝要である。</p>

<p>米民主党が歴史認識に関してまずもってすべきことは、殺人鬼ルーズヴェルトの批判であって、対日批判ではない。</p>

<p>いずれにせよ、日本のメディアは、早く真の問題を認識し、襟を正して来年の大統領選挙に向けた報道に臨み、二度と同じ間違いを繰り返さないようにしてもらいたい。</p>

<div style="text-align: right;">（了）</div>
]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200703303209.php</link>
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<category>社説</category>
<pubDate>Fri, 30 Mar 2007 10:47:46 +0100</pubDate>
</item>
<item>
<title>〔社説〕ドイツの戦争責任に関するギリシャ人の訴えを退けた、欧州司法裁判所の良識ある判断を歓迎する</title>
<description><![CDATA[<p>さる2月15日に、ドイツの戦争責任に関する一つの判決が欧州司法裁判所で下された。判決は、現在の国際法の基本的な枠組にのっとった良識あるものであり、また、その帰結も欧州の平和に資するものであり、妥当である。したがって、国際法による正義を尊重し、平和を愛好する本紙としては、この判決を大いに歓迎したい。</p>

<p>事案は、概ね次のようなものである。1943年12月13日にギリシャのカラヴリタ（Kalavrita）で起こったとされる虐殺について、その被害者とされる人々が、1995年にドイツ連邦共和国政府に対し、その損害賠償請求を求めて訴訟を起こした。何やらわが国の「従軍慰安婦」訴訟に似ているようだが、一つだけ大きな違いがある。</p>

<p>それは、「従軍慰安婦」訴訟が、賠償を求められる側の国である日本国の裁判所に提起されたのに対して、この裁判は、賠償を求める側の国であるギリシャの裁判所に提起されたという点である。この違いは、法的には大きな意味を持つ。</p>

<p>すなわち、現在の国際法上認められている重要な原則の一つに、主権免除という原則がある。これは、国家の主権平等の原則（par in parem non habet imperium）のコロラリーとして導かれるもので、要するに、「国家は他の国家を裁けない」というものである。つまり、ある国は、自分の国の裁判所で他の国を裁判にかけてはならないのである。したがって、A国の裁判所にB国を被告とする訴えが提起されても、A国の裁判所はこれを「裁判権が及ばない」として、却下しなければならないのである。</p>

<p>どうしてこういう原則が認められているかというと、要するに国際社会の平和を保つためである。A国がB国を裁判にかけるということは、B国の国家としての行為の当否をA国が判断できるということになる。これは内政干渉である。しかも、もしB国敗訴などということになろうものなら、B国として腹立たしいことこの上ない。両国関係に悪影響を与えることは必至だし、それが微妙な問題であれば、戦争が起こる可能性すらある。要するに、主権免除の原則とは、お互いの国に対する礼譲（comitas）の精神で成り立っている国際社会に波風を立てる行為を禁止するという意味をもっている。</p>

<p>もっとも、この主権免除については、考え方に若干の変遷がある。かつては絶対免除主義という考え方が世界の主流で、これは、外国国家が被告となる場合には必ず訴えを却下しなければならないというものである。しかし、20世紀を通じて国家の役割は著しく増加し、国家が純粋に経済的な行為を行なうことが増えてきた。そこで、国家行為を国家権力の発動にあたる行為（acta iure imperii）と経済的な行為（acta iure gestionis）の二つに分類し、前者にのみ主権免除を認めれば十分であるという考え方が次第に優勢となった。これを、相対免除主義というが、現在の世界の主流となっている。</p>

<p>本判決も、この枠組を前提としており、欧州司法裁判所は、戦争というのは国家権力の発動にあたる行為の典型的なものであるから、主権免除が認められなければならない、という判断を行った。より厳密にいうと、本件は、ブリュッセル条約（民事及び商事事件の裁判管轄及び判決の執行に関するブリュッセル条約）にいう「民事事件（Zivilsache）」に該当するかという点の解釈の争いという形を採っており、これについて、欧州司法裁判所は、その判断に主権免除の考え方を反映させる形で、ギリシャの控訴裁判所に対して、原告の訴えを却下するように指示したのである。</p>

<p>この良識ある判決により、欧州の平和は保たれることになる。もちろん、ナチスのしたことは重大な戦争犯罪である。しかしながら、それは、ニュルンベルク裁判を含め、法的には既に片の付いた過去の問題である。もし、各国が思い思いにドイツの戦争責任をほじくり返し、それを追及する判決を出すことができるとすれば、どうなるだろう。我も我もと、ヨーロッパ中で訴訟が起こされるだろう。そうなれば、ドイツとて黙ってはいまい。第二次世界大戦後、伝統的に中欧に住んでいたドイツ人たちは、みな追放され、迫害されたのである。</p>

<p>そもそも、ヨーロッパという大陸は、血塗られたドロドロの歴史を持っているから、過去に視線を合わせてしまうと、共存共栄しようという発想は出てこなくなってしまうのである。もちろん、過去の失敗から教訓を得るのは良い。しかし、過去にこだわるのはよくない。そして、欧州統合という運動は、過去の失敗から学びつつも、視線は将来に向けた運動である。この欧州統合の法の番人である欧州司法裁判所が、かかる判決を下したことは、よく考えてみれば、余りにも当然のことであるといえる。</p>

<p>今年元旦のルーマニア・ブルガリアのEU加盟にしても、何だか当然のことのように受け取られている節があるが、実は、バルカン半島というのは、かつて「弾薬庫」とまで言われた紛争多発地帯なのである。これらの国がEUへの加盟を果たしたということは、欧州の国々が将来に視線を向けているからこそ可能な出来事であった。このことを、我々は認識すべきであろう。</p>

<p>翻ってアジアを見ると、一体何をやっているのだという暗澹たる気分になる。そもそも、アジアという地域は、きちんと共存共栄さえできれば、次の覇権地域となる資格は十分なのである。だから、あまり昔のことにこだわっていないで、早く将来を見据えた行動をとったほうがよい。慰安婦訴訟や靖国参拝訴訟など、過去のことをほじくり返す訴訟は欧州的な視点から見ればナンセンスそのものであって、過去の失敗から学びつつ視線を将来に向けた東アジア共同体構想を進めることこそ、東アジア諸国が今まさになすべきことである。</p>]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200703093061.php</link>
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<category>社説</category>
<pubDate>Fri, 09 Mar 2007 05:39:27 +0100</pubDate>
</item>
<item>
<title>年末のご挨拶</title>
<description><![CDATA[<p>2006年も一年間『欧州経済新聞』をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。</p>

<p>2006年年頭のご挨拶におきまして、本年を欧州経済新聞社の「飛躍の年」と位置づけさせていただきましたが、この一年を振り返ると、オンデマンド配信サーヴィスの開始、欧州連合公式情報の翻訳開始、通訳・翻訳事業の開始、セミナー事業の開始、書籍案内の大幅な改造など、さまざまなサーヴィス拡充を行い、まさに「飛躍の年」とすることができました。</p>

<p>2007年は、欧州経済新聞社の「改革の年」と位置づけております。これは、いままで積み上げてきた多様なものを一貫した原理の下に整理・統合していくことにより、集中を生み出し、目的と目標を達成していくことを意味します。これにより一層の強さを兼ね備えることになる欧州経済新聞社に、今後ともますますのご愛顧をよろしくお願いいたします。</p>

<p>2007年が皆さまにとってよい年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。</p>

<div style="text-align: right;">欧州経済新聞編集部</div>
<br />
<br />]]></description>
<link>http://editorial.oushu.net/articles/200612313024.php</link>
<guid>http://editorial.oushu.net/articles/200612313024.php</guid>
<category>巻頭言</category>
<pubDate>Sun, 31 Dec 2006 08:43:01 +0100</pubDate>
</item>


</channel>
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